人生の半ば

 またこの日がやって参りました。

弄筆慵求才子誉
作詩空博冶郎名
人間五十今過半
愧為読書誤一生
- 夏目漱石「無題四首」より(吉川幸次郎『漱石詩注』所収)

現代における冶郎とはまさに私のような存在をいうのでしょうし、相変わらず筆を弄するのを面倒くさがるのは改まりそうにありません。何よりも「人間五十、今半ばを過ぐ。愧ずらくは読書の為めに一生を誤るを」というのは非常に身に染みますね。

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平成20年回顧―二人の死者について

 一年を回顧しても非難されない日である。個人的なことを言えば、私は今年に生じた転変によって被害を被ってはおらず、海外通貨の下落ゆえにむしろ恩恵を受けた―主に洋書購入などの局面で―くらいであり、やや不謹慎ながら、平成二十年の時局は幸いであったと言わねばならない立場に属する者であって、情勢の急変に直接的に晒されたとすることは到底できない。だがそのような存在を以てしても、今年がある種の世界史的転換点をなす可能性があることを予期させられたこともまた事実であった。実務に携わる友人諸兄との対話のなかにもまた、この実感を裏付けるものはあった。ひょっとしたら、資本制と議会制民主主義の双方を両輪としてきた西側社会が、(父なる?)ファシズムや(子なる?)共産主義に続く、(聖霊たる?)第三の脅威を自覚し始めたかもしれないのである。
 しかしここで語りたいのはそのことではない。年の終わりにふさわしく、死者の領域に足を踏み入れたいと思う。平成二十年に物故した人々のなかには、私のような人文学徒がその著作に親しむことの多かった著者が少なからず存在した。最も著名なのはおそらく加藤周一であろうと思う。晩年には残念ながら、同じく朝日新聞にコラムを持つ吉田秀和翁に比べても現役感が希薄であった印象を避けられなかったが―彼の外界への関心は昨今と1970年代との間でさしたる差異を持たなかったのではないか―、『日本文学史序説』に代表される実績は不朽のものであることには変わりない。他に加藤の著書としては、福永武彦・中村真一郎との共著『1946・文学的考察』が忘れられないものであり、この書物中の福永のエッセイが精彩を欠くのに対し、加藤のものは未だにその批判力を失ってはいまい。もっとも、これらの著作に見られる見解に、現在の私が完全に賛意を表すかどうかは別問題であるが。ちなみに、個人的に最も影響を受け、かつほとんど同意もできるのは『読書術』であった。
 加藤については、しかしながら、私などが駄文を呈するまでもなく、既に多くの人々が追悼の意を表している。ここで書いておきたいのは、知名度としてはやや劣るかもしれない二人の死者、川村二郎と西郷信綱のことである。もちろん両者共に有名人ではあるが、メディアに登場することは加藤周一ほどではなかった。

 二月に亡くなった川村二郎(1928~2008)には、まずもって文芸評論家の肩書きが付けられていたが、私にとっては批評家としての川村より独文学者としての川村が先行した存在であった。彼は何よりもドイツ思想やドイツ文学を紹介し論ずる人間であったのである。実際、研究者・紹介者としての川村二郎はかなり「速い」人であり、ベンヤミンにせよアドルノにせよルカーチにせよ、彼が最初期における訳者の一人であったことは忘却し得ざる事実である。このような速さを輸入業者的な態度として誹謗するのはまったく不当である。人に先んじて気づいたよいものを人に先んじて論じたり紹介したりするのは、むしろ外国研究者の神聖なる義務の一つであると言わねばならない。
 批評家としての川村にとって重要なのは、彼の文業がこのような外国文学研究者の顔と分かちがたく結びついていたことである。川村の保田與重郎に代表される日本文学への関心も、あくまでもゲルマニスティクと不可分の形で保持されていたことは、彼の著作をいくつか通読した経験のある読者にとっては自明のことであろう。これは、例えば柄谷行人において、英文学を専攻したことと日本近代文学を論じることが基本的に関連性を持たないことと対照的である。柄谷が「根本的な背理をかかえている」外国文学研究から撤退する(福田和也『奇妙な廃墟』ちくま学芸文庫版への解説)ことで批評家になったとすれば、川村はむしろ逆に、批評意識からドイツ文学を選んだとすらいえるのである。敗戦を経て大学生となり専攻を決めなければならなくなった際、もともと英語を得意としていたにもかかわらず、「勝者にゴマをすり、尻尾を振るような態度は、何がどうあろうと取りたくはなかった。つくならば敗者の側でしかあり得なかった。たとえドイツ語の力がおぼつかなかろうと、日本と同じく世界大戦に敗れた国の文学に、心をこめるよりほかはないと覚悟した」(保田與重郎『英雄と詩人』新学社版への解説)という回想にそのすべてが現れていよう。敗戦国民の自覚ゆえにドイツを選択することは、川村前後の世代の自己意識に広く共有された振舞いであった。わざわざマゾッホ論の後書きに「そうかといって徹底抗戦を諦めたわけではない。鬼畜米英はやはり殲滅しなければならぬ」(『ザッヘル=マゾッホの世界』)と書く故種村季弘―川村の東大独文科の後輩であり都立大での同僚でもあった―がそうであるし、空襲の記憶を繰り返し作品に登場させる古井由吉―彼も独文科における川村の後輩であった―も、その一人であるようにも見える。再び個人的な述懐を許されれば、私がドイツに深入りすることになった背景にあるのもまた、似たようなわだかまりであるのかもしれないのである。なんら他者意識を持たぬまま外国文学をいじくりまわして恥じることのない人間は―私の妄想のなかの存在であることを祈る―、語り合うに値せずと思うだけである。
 かくして、川村二郎のゲルマニストとしての学識は、日本のものを論ずるときにこそ発揮されることになった。最も代表的なのは、やはり彼が最初の『限界の文学』に所収された論攷から最後の書物『イロニアの大和』に至るまで一貫して追及してきた対象である保田であろう。川村は保田や日本浪漫派を(例えば加藤周一のように)日本に固有の退行的な態度として見做すことはなく、あくまでも同時代の世界文学・思潮との関連性のなかで見ようとする。具体的にいえば、19世紀のヘーゲル周辺―私はエルヴィン・ゾルガーの重要性を『イロニアの大和』に教えられた―やロマン派に触発された現象、さらに20世紀のホフマンスタールやゲオルゲ派などと同時代的な現象として、彼らをとらえることにこだわるのである。これは単純に受容論を主張することではなく、保田一派を、世界史的・普遍的な問題を追求して敗れた人々として再考するための行いであったように思う。川村の保田論の核心は、浅田彰の次のような発言において要約されている。

 前から言っているように、ベンヤミンとシュミットの間でロマン主義の問題を考え直すことが重要だと思う。ベンヤミンはロマン主義をフィヒテ的な自我から切り離し、反省の無限化が自我をほとんど無化するに至るという契機を取りだす。そこでは、自我ではなく、無限の反省の触媒としての芸術こそが重要なんですね。しかし、自我の無化が自我の絶対化につながるという逆説があるわけで、そうなると、ロマン主義は、シュミットの言うように、それに対しては他のすべてが機会(オケイジョン)でしかないほど絶対的な神=自我をめぐる機会原因論(オケイジョナリズム)ということになってしまう―何を決断してもいいので、とにかく無=死を前にした決断こそが重要なのだというように。こういう文脈から、ドイツロマン主義を、あるいは同時代でいうとゲオルゲ・クライスからハイデッガーやフランクフルト学派に至る流れを再検討する必要があります。ナチスだってそうなんですよ、ラクー=ラバルトに言わせれば国家社会主義とは何よりもまず国家審美主義なんだから。日本浪漫派についても川村二郎が少しやりかけていたけれど、まだまだこれからでしょう。(柄谷行人編『近代日本の批評〈1〉』)

最近刊行された保田についての書物が、単なる受容論にとどまっているか(菅原潤『昭和思想史とシェリング』)、逆に外国文学への関心を捨象するか(渡辺和靖『保田與重郎研究』、なおこちらの本は保田の国内の著者に対する剽窃疑惑を大々的に取り上げている点で、下世話な興味ながら非常に面白い研究ではある。)のいずれかの傾向に限定されていることを考えると、川村の世界文学的関心の重要性が理解されよう。もちろん、浅田も言うようにことは「まだまだこれから」なのだから、川村二郎の批評意識は今まさに後継者を探しているのである。
 川村二郎の著書としては、先にあげた『限界の文学』のほかでは『語り物の宇宙』などが著名であるといえる。私個人としては、小著ではあるが、『和泉式部幻想』の印象が鮮烈であったことを思い出す。これはやはり保田の『ヱルテルは何故死んだか』や『和泉式部私抄』を手がかりに人類学的領域に踏み込んで母権を論ずるといった趣きのある書であり、世界文学的学識ゆえの批評意識が如何なく発揮されたという点で、この著者の本性を凝縮したかのような印象を受けるからである。この時期の川村がバッハオーフェンに相当な関心を有していたことも興味深い。とはいえ、これらはすべて現在では一般の書店で入手不可能なものとなっており、新刊書として流通に乗っているものは『日本廻国記』・『白山の水』くらいであろうか(いずれも講談社文芸文庫)。前者は著者の全国一宮巡礼の記録、後者は泉鏡花論であり、いずれも責任を持って推薦できる書物であることを保証しよう。特に後者は、ここでは詳述しないが、日本の近代文学や民俗学とドイツのロマン主義、のみならず歴史主義・歴史法学が同時代的な問題意識を以て組み立てられた領域であることを、敢えて論文的構成をとらないエッセイスタイルによって示唆している点で、私のような後進のヒントとなるところが大であった。

2.

 九月に物故した国文学者、西郷信綱(1916~2008)もまた、加藤や川村と同様に世界文学的視野を持った文人であった。もともと英文学を志していたにもかかわらず斎藤茂吉に震撼することによって国文学の道に入ったという経緯(「斎藤茂吉について」『国学の批判』所収)からしても、彼が国文学の「精神なき専門人」たることを潔しとしなかったことは明らかであろう。続いて彼は、当時新進の研究者であった風巻景次郎に兄事することになり(「未来への掛け橋」同書所収)、柳田國男・折口信夫らの民俗学、さらにはマルクス・フレイザー・デュルケームといった人々に代表される隣接諸分野に通暁することなくしては、国文学を学ぶことなど不可能であることを教えられたとも言っている。
 その西郷の代表作はと問われれば、多くの読者は『古事記注釈』の名を挙げることに躊躇しないであろうと思われる。現在流通しているちくま学芸文庫版で全八巻になる本書は、コメンタリーという古典研究におけるまさに古典的な形態をとりながら、ともすれば退嬰的になりがちなこのジャンルの持つ最もすぐれた性質をして生かしむる点で、この著者の最高の一冊として挙げるにふさわしいと同時に、また本居宣長以来いくつも書かれてきた古事記コメンタリーの前世紀での集大成とすら言うことのできるものとなっている。本書においても顕著なのも、やはり著者の分野横断的かつ世界思想的な関心であり、私のような読者としては、個々の語釈の文献学的厳密性にだけでなく、そのようなマクロの部分の読みにも感嘆させられるところが大きかった。著者は強調してはいないものの、『古事記注釈』は、レヴィ=ストロースが「神話の構造」(『構造人類学』所収)などで提唱している神話素による構造分析を、日本神話の解読に最も切実に取り入れた好例として見ても差し支えないのではなかろうか。一貫して本書を規定しているのは、神話を通時的だけではなく共時的なレヴェルでも解読する、つまり『古事記』を細かい神話素が反復された集合体としてとらえるという方針である。極めて単純化した例を挙げれば、スサノオによる大蛇退治、ニニギによる国譲りの受理、ヤマトタケルによる全国遠征は、確かに通時的なレヴェルではこの通りの順番で起こった事象として羅列されているに過ぎないが、共時的なレヴェルで見れば、天皇に近しい勢力による従わないものの討伐と支配という同じ現象をそれぞれ違った角度から反復的に記述したものであると見ることができる、というように。こうすることで「神話は、論理学や数学の体系と同じように働く記号の体系を通して、葛藤に解決の道を提供する」ことになるのである(オクタビオ・パス『クロード・レヴィ・ストロース』)。宣長以降の国学・国文学の常道となった観がある『日本書紀』に対して『古事記』を優位におく態度にしても、西郷の場合はナショナリスティックな意図からではなくそのような神話語りのオイコノミアから主張されていることも、同じように指摘さるべき事実であろう。
 こうした分析への情熱の背景には、大正初年に生まれ昭和初期の戦争の時代に学問形成をせざるを得なかった著者の政治的信念のようなものが作用しているようであり、実際に政治性をもっと直接的に表出していた一時期もあったということである。これについては、影響を受けた「批評家」として井上究一郎と共に西郷の名を挙げる蓮實重彦が、かつて次のように述べたことがある。

 それから西郷信綱氏に関しては、これはぼくが専門としていることではないし、まあ、それなりの評価はいたるところで受けているし、学術的な著作としても、それから批評的な著作としても評価はある程度決まっていたんだけれども、にもかかわらずその著作の刺激に文学一般が無感覚なんです。西郷さんが非常に政治化したというか、社会化した時期があって、そこらへんがちょっと軽く見られて、なかなか歴史的意義が理解されていない。その政治的な図式にしても、あるいは社会的なものの切り方にしても、逆に、今の西郷氏が当時書かれた政治的、あるいは社会的な読み方を政治的、社会的だと言って批判する人達が、今の日本の社会で演じられている愚劣な政治性社会性に比べてみたならばこれは比較にならないと思うんです。(蓮實重彦「彼自身による弁明」『饗宴〈2〉』所収)

実を言えば、「西郷さんが非常に政治化した」時期については私は殆ど無知であり、現在岩波現代文庫から刊行されている『日本古代文学史』の内容が初版と現行のものでがらりと変わっていることを伝聞で知るのみなので、これについては何も言う資格がないことを告白せねばなるまい。ただ、西郷の専門が上古・中古の日本文学という天皇制の根幹に大幅に関わる領域であること、また政治性を前面に出すかどうかは別として政治的立場そのものを変えたわけではないことなどを勘案すると、この世代より後の知識人にありがちなマルクスからレヴィ=ストロースへという安易な転換(転向?)と同一視することは妥当でないようにも思う。レヴィ=ストロースとてフロイトと並んでマルクスの影響を公言する人物であって、いくら最近の彼がサルコジに持ち上げられて喜んでいる(ように見える)からといって、左翼でないなどと決まったわけではないではないか。
 西郷信綱の著書は多いし、川村二郎の場合とは異なってそのほとんどを復刊や文庫の形で入手することができる。現時点の出版状況としては、ある意味では加藤周一よりも恵まれているとすらいえるかもしれない。個人的には、まとまった著書としては最近復刊された『古代人と死』(平凡社ライブラリー)が、単独の論文としては「枕詞の詩学」(『古代の声』朝日選書所収)が、特に著者の真骨頂を示しているように思う。「大地・葬り・魂・王権」と副題を付された前者は主に王権論と埋葬論の交錯する局面という点で緩やかな関連性を持つテーマについての論文の集成であり、柳田や折口を継承すると共に、humanusの語源をhumare(埋葬する)に見出したジャンバッティスタ・ヴィーコ(Kittler, Friedrich A.: Eine Kulturgeschichte der Kulturwissenschaft, zweite Auflage, München: Fink, 2001, s.38)以来の世界史的問題設定を追い求めた書物でもある。なかでも「諏訪の神おぼえがき」には私としても教えられるところが多く、柳田『石神問答』から中沢新一『精霊の王』に至るまでやたらに大量の論攷が出されてきたこのテーマではあるが―そのなかには川村二郎『語り物の宇宙』も含まれる―、ここで著者が立てた仮説が今のところ最も説得力あるものの一つであるように思われる。また、後者の「枕詞の詩学」は、まさにその表題の通り枕詞が和歌の中で持つ機能について分析したものである。私にとっては、おそらく他の多くの鑑賞者にとってもそうであろうように、枕詞は単なる字数合わせの決まりごと、ホメーロス研究で「定型句」(「『足の速い』アキレウス」といったもの)といわれる口承文芸のエコノミーのための制度と同じ規則でしかなかったのであるが、実は、枕詞と枕詞がかかる語の間には、あるいはその枕詞を含む詩歌全体との間には、かなり複雑に張り巡らされた意味論的連関があることを、この論文は主張しているのである。これなどまさに、この著者の学究的側面と、茂吉によって進路を変更したという詩人的側面の双方なくしては不可能であった分析といえるのではなかろうか。

3.

 どうやら余りにも字数を使いすぎたようである。分量の制限されないブログでは書き手の自制が必要でもあろうし、この辺で追悼と紹介を兼ねた拙文を終わらてもよかろう。偉大な文人が世を去ったからといって、もちろん、現役の読む価値のある書き手がいないわけではないし、次なる世代が登場しないとも限らないではないか。後進の者としては、かくして去り行く人々の文業を仰ぎつつ、去り行く年を送ろうと思う。

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世相に関する書簡

 以下は先日ある友人に向けて送信したメールである。友人の許可を得たので、ここに公開する。

* * *

 例の事件についていくつか思うところあり、筆をとってみました。大してまとまった内容ではないことは平にご容赦下さい。
 
 私は事件後、日本の新聞のみならずヨーロッパ三国の主要紙もネットでチェックしたのですが、大体において似たようなことが書かれていました。即ち、犯人が掲示板で事件前に実況していたこと、秋葉原がオタク(geek)の拠点として著名であること、犯行の背景に派遣社員の劣悪な労働環境があること、などです。外国においても秋葉原に関する印象が共有されていることを再確認すると共に、ゲームの影響で武装、といった類のこのような若年層犯罪におけるステロタイプな報道まで先方に浸透している嫌いがあることに苦笑を禁じえませんでしたけれど。
 今回は派遣問題などの社会的背景が割にきちんと指摘されている傾向にあり、特定の層に対する偏見に満ちた報道も抑制されている(皆無と言うわけではないにせよ)ようですので、さしあたっては上に付け加えるべきことはないように見えます。ですが、別の角度から改めて気づいたことがありますので、少しそちらに触れたいと思います。
 
 一つは、眼前で展開される殺人行為の衝撃力についての仮説を変更しなければならないのではないか、という話です。事件後、死体の周囲に野次馬が集まって携帯カメラなどで写真を撮っていた、ということが各所で報道されていますね。人間が潜在的・無意識的には死の瞬間を見ることを欲望する側面を抱えているにしても、医療制度の発達などによって死から隔離された現代の先進国民にとっては、直前に殺された人間を凝視したり記録したりすることは特別な修練を経た医師、軍人や報道カメラマンでもなければ耐え難い行為であって、それ故に実際の死は未だにおぞましいものであり得るのではないか、と考えている人は少なくないはずです。数年前イラクでテロリストの人質になった青年が殺される映像がインターネットで配信された際、掲示板などで青年を非難していた人々が、その動画が出てきた瞬間に沈黙してしまったという事例もあります。しかしながら今回の事件後の情景が突きつけるものは、このような形で現代人のメンタリティを結論付けることは不可能なのであって、現前する死ですらもその衝撃を失いつつある、というものであったのかもしれません。もしそうであれば、死刑制度を存続させるのならば死刑の実況中継を行うことを考慮すべきではないか、という主に死刑廃止論者から出される意見もまた、再考を迫られることになるでしょう。現代人は死から切り離されているが故に死の衝撃力に耐えられないという前提が危うくなっているとすれば、公開処刑が娯楽であった時代の、他人の死の瞬間を享楽するという剥き出しの欲望の回帰を押し留めるものが減退していることになるからです。
 もちろん、事件後に野次馬が集まったのはあくまでもそれが事件「後」だったからであって、殺人の瞬間そのものがどのような印象を与えるものであるのかはわからない、という見方もあり得ます。であるならば、少なくとも死の瞬間においてのみは、死の衝撃力が未だ保存されている可能性が残されますが、今回の事件の結果だけでは判断のつきかねる問いですので、これからは生死について考察する際には上記の仮説も一応は念頭に置くべきであるように思います。その際には、もし現代人の心性に変化が起こったとすれば何故なのかについても考えられる必要があるでしょう。

 二つ目はもう少し社会的な話です。犯人がなぜ秋葉原を舞台に選んだのかという疑問は、一度は抱かれてしかるべきでしょう。これについての回答としては、秋葉原が劇場的空間であったためとするものが既に提出されておりますが、私見では、犯人がオタクだったから秋葉原を選んだ、という最も通俗的といってよい答えにも相応の真が認められ、事件のある核心的な部分を指し示してもいるのではないかと考えます。事件の背景として現場がオタクの町であったことと犯人がワーキングプアであったことの両者が指摘されているわけですけれども、双方は完全に独立した事象なのでしょうか? 結論から言ってしまいますが、オタクと貧困とはかなりの程度において相関関係にあるのではないですか。事件の構造的な要因として貧困を指摘し得るのであれば、貧困ゆえのオタク、オタクゆえの秋葉原という連鎖を考えることは、あながち無理ではないように思うのです。以下、オタクと貧困に関しての私見を披瀝することをお許し下さい。
 実のところ、いわゆる狭義のオタク趣味(ゲーム、アニメなど)は基本的に金のかからないジャンルです。DVDや各種グッズに金を使うにしても旅行やスポーツに比べれば多寡が知れておりますし、自戒をこめて言えばむしろ古書や洋書の方が高くつくでしょう。さらに、動画投稿サイトやファイル交換ソフトの登場で、ネット環境さえ構築すれば極限まで投資を抑えることができるという現状もあります。犯人のような人間が趣味を持つとすればかなりの確率でオタク趣味、となることは容易に推測がつきます。いわゆるDQNの人は別であるにせよ、DQNになるにはある種の先天的才能が必要ですからね。
 ここで想定される反論は、貧困層どころかむしろ社会的な上位層に相当する人々の中にもオタク趣味を持っている人間はいるではないか、というものです。実際、都内の有名中高一貫校から東大や医学部に進学して専門職に就く、といった層のなかにオタクが多いことは私のような人間が身をもって知る事実ではあります。しかし、彼らを観察すると、オタク趣味「だけ」という人間がいかに少ないか、ということが見て取れることには、同意して頂けるのではないでしょうか? 文化資本の享受者である人間は、サブカルチャーに耽溺すると同時に、他方では社会的に是認されている文化を身につけている場合が多く、文化に対するある種の多元的所属を達成していることがしばしばなのです。一方、物理的な貧困層は文化的にも往々にして貧困であり、文化産業から安直に獲得することのできるサブカルに流れる以外の選択肢を持っていなかったりするのです。
 オタク内部の格差が存在する以上、オタク「だけ」の人々と社会的かつ文化的な貧困の結びつきを、無視することは不可能であると言えるでしょう。今回の事件の背景にこのような階級と文化の関連が存在することは、おそらく確実であるように思います。

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『WB』に触発されて中上健次を想う

 今更ながら数日前、本郷生協にて『WB』(『早稲田文学』のフリーペーパー)のvol.12、2008年春号を求める。サイトで本郷で配布している(駒場には設置せず)ことを確認済みだったので店内で探したところ見つからず、店員に改めて確認すると、『WB』の存在を誰も知らなかったらしい。結局、奥を探してもらって入手することができたが、冊子を置いていること自体を認識していなかったのは、本郷の客はそもそもこういうものに興味を示さないゆえであろうか。

 中身を見ると、ロブ=グリエ追悼記事などが並ぶ中(彼についてはいずれ触れたい)、大杉重男のコラム「『AIR』をやってみた」が人目を引く。「鳥の詩」に興味を持った著者が『AIR』原作をやってみた、というところから始まる話である。周知の通り――とこのブログの読者に言ってしまってよいのであろうか――『AIR』は、平安時代に信仰を統一するために高野山で抹殺されたとされる「翼人」なる存在の転生である美少女が、その翼人の呪いによって原因不明の病で主人公を前にして死んでいく、とでも要約される物語を中心に置いたゲームであり、アニメ化によって2000年代中期に好評を博したことでも名高い。いわゆる泣きゲーとして知られる本作であるが、作中に現れる転生と夭折というテーマやカラスのモチーフ、さらに紀伊半島と目される舞台から、大杉は中上健次のことを想起する。

「紀州」と言うと何でも中上健次を連想してしまう私にはこの舞台設定はただごとに思えなかった。実際転生しては「翼人」の記憶の重みに耐えかねて夭折して行く美少女たちのイメージは、『千年の愉楽』の中本の一統の若者たちに通じるところがないだろうか。『千年の愉楽』にはオリュウノオバという記憶装置があったが、『AIR』ではあらゆる記憶装置が焼き尽くされた後、それでも残る記憶についての記憶が孤独に空に漂い続ける。

実を言えば、私も京都アニメーション版のTVシリーズを見た際に同様に中上のことを考えたことを記憶している。とはいえ、ここでは別に着想のプライオリティを主張するつもりはない。私が考えるのは、ここ数年の日本のサブカルチャーにおいて中上的モチーフを散見することが一度ではなかったことである。
 昨年(2007年)の夏、乱交に発展する三角関係とバロック的に陰惨な復讐劇の描写によって注目を集めたアニメに『School Days』がある。最終話直前に起こった殺人事件の影響で一時的にTV放映が停止されたことも記憶に新しい。が、ここでは『School Days』それ自体ではなく、この作品の置かれたコンテクストのことを話題にしたい。『School Days』も『AIR』同様に18禁ゲームを原作とするアニメであるが、この制作会社によるゲームはすべて連作として登場人物の人間関係を共有しており、ほとんどの人物は『School Days』の主人公・伊藤誠の父親である沢越止なる人物の血縁であり、ほとんどすべての恋愛が意識的・無意識的な近親相姦として行われる、という文脈が存在するのである(アニメ放映中に某動画投稿サイトにアップされた解説動画の示唆による)。原父(フロイト『トーテムとタブー』)的とでも形容し得る超越的な父の存在、その君臨の下で行われる近親相姦と殺人、視点を変えつつそれを描いていく連作としてのサーガ、といった要素は、言うまでもなく中上健次と共有されているものである。大杉の言うように『AIR』が『千年の愉楽』から『奇蹟』に至る中本の一統の物語であるとすれば、『School Days』は『岬』・『枯木灘』・『地の果て至上の時』の秋幸三部作に比較することができよう。
 中上健次は、19世紀にバルザックによって整備され20世紀前半にフォークナーによって洗練された、あるトポスを連作小説の舞台として設定し同一人物再登場技法によってその中で神話的サーガを構築するという方法を、自身の故郷である南紀において駆使することで小説を書き続けた。今、アニメや美少女ゲームにおいて中上的なサーガが復権しているとすれば、それは何を意味するのであろうか。最も想定される回答は、中上は自身「物語作家」を名乗ったことからも明らかである通り生涯を通じて物語に接近したのであり、純文学とは異なって物語に対する抑圧の存在しないサブカルチャーにおいて中上的世界が展開するのは極めて当然ではないか、というものであろう。中上の晩年の小説『異族』や漫画原作『南回帰線』に「構造しかない物語」を見出し、それにサブカル的見地から肯定的評価を与えようとする議論(『新現実』vol.5における柄谷行人・大塚英志の対談での大塚の発言を参照)に与する者であれば、そのような判断を下したとしても不思議ではあるまい。
 しかし私が注目したいのは、『AIR』や『School Days』が、神話・物語としての中上サーガのみならず、神話・物語批判としての中上「小説」をも継承しているように見える点である。『AIR』において「翼人」が王朝時代に朝廷に抹殺された異端信仰の対象であったという虚構の歴史が持ち出されていることは、浜村孫一という架空の武将を介して中上が一向一揆の敗北と被差別部落の起源の因果関係を示唆しようとしたことと同様、歴史性の導入によって「構造しかない物語」からの脱出を試みているということができる。またアニメの『School Days』においては、網の目のような血縁関係の外部にいる唯一の登場人物である桂言葉のみが最終的に主人公の愛を勝ち得た上で復讐劇を生き延びるに至るのであり、このことは近親婚と報復的殺人に彩られた神話世界に対する批評として機能しているのである。(※)
 ゆえに、サブカルチャーにおいて中上健次的世界が反復的に顕現していることを、中上による物語の復権の関連で説明することは、多分に妥当性を欠いている。たとえ単なる文化商品として消費される作品であったとしても、無批判に物語を垂れ流すだけでは、戦慄的なまでに強烈な印象が誕生することはありえない。現代日本のサブカル作品のうちの優れたもののいくつかが中上を継承しているとすれば、物語を臆面もなく展開する一方で物語に対する批判を忍び込ませずにはいられないという、物語(構造)と物語の外部(歴史)との弁証法をこそ継承しているのである、とさし当たっては結論付けるほかあるまいと思われる。

※ ちなみに、桂「言葉」という命名は示唆的である。言葉=ロゴスのみが神話(ミュトス)的血縁関係を超越するのであり、神話に拘束された「世界」を脱出した暁には、ロゴスのみが愛されねばならない。父権的ロゴスの最終的勝利...。

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歳はとりたくないものです

Sed omnes una manet nox
et calcanda semel via leti.
- Horatius, Carmina 1, 28, 15f.

しかし、一夜はすべての者を待ち受けている。
かくして死への道はまた一歩、踏み固められねばならぬ。

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伊豆半島

 このようなエントリを発見し苦笑しつつも、自分でも同じことをやってみる気になった。

オーウェル『1984年』
ザミャーチン『われら』
ハックスリー『すばらしい新世界』
以上は定番か。
ドストエフスキー『死の家の記憶』
大岡昇平『俘虜記』
ピエール・モリオン(=マンディアルグ)『閉ざされた城の中で語る英吉利人』
監禁状態について思考できる本。それぞれ性格が異なる。
ペトロニウス『サテュリコン』
ヴォルテール『カンディード』
サド『ソドムの120日』
セリーヌ『なしくずしの死』
本来的な意味でpositivな本四冊。

 10冊とはやはり厳しいもので、心ならずも選に漏らしてしまったものが多々あることを断らねばなるまい。例えば『神聖喜劇』を入れるとこれ一つだけで五冊になってしまう。フーコー『監獄の誕生』や見沢知廉『囚人狂時代』―刑務所でも本の持ち込み制限があるため表紙を剥して数冊で合本を製作するエピソードが登場する―もこうした状況では特に熟読するに足る名著であると言えようが、どうせなら小説で統一しようという意図があったため(※1)、さらに一応中高生向き(!)であることを考慮して現在文庫本として流通している著作のみにしたかったために(※2)、敢えて加えることをしなかった。

※1 『俘虜記』は心理分析を少なからず含んだ散文であるということで小説として扱った。
※2 『ソドムの120日』については、実は文庫版よりも単行本として刊行されている完全版を念頭に置いている。

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2006.6.3の更新

 今年度のシラバスや学部便覧と一緒に大学のサーバ用のパスワードを送って頂いたこともあり、久しぶりに親サイトを更新することができまして、自分の学年を書換えたほか、さらに資料のページを作成してみました。ここでは某サイトに倣ってドイツ版PANTHEON(人名物データ)を作成してみる予定です(他のコンテンツも思案中)。時間がある時かつ単純作業を敢えてやりたい気分のとき以外は更新しないことは確実ですけれども、勉強の足しにならないこともないのでおいおい付け足していくつもりです。
 前にコメントでも言及されていた掲示板は一旦廃止ということにしました。復活するまではここのコメント欄を空けて代替ということにしましょう。

 以下はおまけ。最近話題の動画共有サイトでとある人名を入れて検索してみたら...。
http://www.youtube.com/watch?v=Lhv-bcGUUxY

2006.6.5追記:
 上記とほぼ同時にイタリア旅行の写真集を作成し始めました。

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Im wunderschoenen Monat Mai...?

 五月になってからかなり暖かくなったベルリン市内の風景を。

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▲左:シュプレー河畔、博物館島付近の風景、右:大学前、国立歌劇場隣に出現した本のモニュメント(共に2006.5.2撮影)

 最近に閲覧したサイトから。
 独文学雑誌「DeLi」のウェブサイトの「雑記」コーナーにベルリン滞在記録が掲載されています。個人的には、映画・演劇・書店の訪問記録が参考になりました。

 先月くらいから気になっていたのですが、カテゴリーで戯れにラテン語などを使っておりますと、各エントリの下の日付・カテゴリーの表示で生じてしまう不都合があります。inの後であるにも拘らず主格で表示されてしまうのですね。これは非常に気持ち悪い。ですが、全国でほぼ一人だけにしか関係がないことがほぼ確実な問題にプロヴァイダが対応してくれるはずもなく、こればかりはどうしようもないようです。

 最後になりましたが、前回のエントリでメールを下さった方、有難うございました。

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