尽懸案安息事

懸案尽キテ安息ノ事

12月某日
 
 数箇月来なる懸案事を終へてまづは安息を得。これにて息災にて年を越すも可ならん。もろもろの幸運に謝するのみ。

 若干の暇を得しかば、かねてより計りありしウヱブサイトを改めて作成せり。もとより小生はこのブログのみを持ちたるにあらず平成十五年より大学のサアバにサイトを築きてあれど、卒業せし後はURL効を失へるを以てサイトもまた消さるるにまかせりとふ経緯あり。この度に復興せしはこれなり。もし再び大学のサアバを使はば身分の変更に伴ひてURL変へざるを得ず面倒なれば、前は写真など重きフアイルなどのみを置きてゐたるニフテイのサアバを用うるものとす(http://homepage3.nifty.com/h~hasegawa/)。サイト名はかつては「自由學藝の園」としたれど、年来より小生「自由学芸 artes liberales」なる人文主義 Humanismusの理念に懐疑的となりたれば、敢へてこれを踏襲――ふしゆうと読まざれば国家叛逆の徒なるらし――せずと決めたり。新たには、希臘語にて「πύλαι της νυκτός」すなはち「夜への門」と名づくるものとす。
 なほ、これは十月のことならん、ブログの題もまた変へることをせり。もともとマルクス・アウレリウス帝の著書にあやかりて「ΤΑ ΕΙΣ ΕΑΥΤΟΝ(自省録)」としてゐたれど、かほどに人口に膾炙せる語を冠せるブログやサイト極めて多く、そのなかに埋没せんは避け難ければなり。新たに付せし標題「μελέτη τὸ πᾶν」も同じく希臘の文句にて、「γνῶθι σαυτόν(汝自身を知れ)」などと共にデルフオイの神託の一なりとする説と、七賢人のペリアンドロスの箴言なりとする説の双方ありと聞こゆ(Giebel, Marion: Das Orakel von Delphi; Geschichte und Texte, Stuttgart: Reclam, 2001, s.48f.)。ハイデガアこれを著書『Besinnung(省察)』の巻頭に掲げしことあるも、未だ高名には至らざる句なれば――小生グウグル先生に尋ねしことあり――、ここの題名として新たに採択することとす。その意は曰く、「すべては練習に過ぎず」と。
 さらに蛇足を記さば、平成十六年にココログ始まりしときsodom120てふURLを取得せるは、無論のことサド・パゾリイニ両人に敬意を表したればに他ならず。サド・ハイデガア・パゾリイニ、仏独伊三国のかくも呪はれたる三名に導かるるはヨオロツパ近現代思想を攷究せんとする学徒のまさに本懐なるべし。呵呵。

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見不忍池蓮華事、付新首相演説事

不忍池ニ蓮華ヲ見タル事、付ケタリ新首相演説ノ事

9月某日

 本郷への途上に不忍池の周囲を逍遥す。

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▲左右ともに不忍池の蓮(午前9時頃に撮影)

9月某日

 ブログのデザインやや殺風景なれば、二年前にイタリア近海にて撮影せる写真を掲げることとせり。

9月某日

 新聞にて新首相の所信表明演説を見る。この種の文章に興味ひかるべき実あることは稀なれど、「幕末、我が国を訪れた外国人という外国人が、驚嘆とともに書きつけた記録の数々を通じて、わたしども日本人とは、決して豊かでないにもかかわらず、実によく笑い、微笑む国民だったことを知っています。この性質は、今に脈々受け継がれているはずであります。蘇らせなくてはなりません。 」とふ一文に目を留む。新首相もまた、都知事も愛読すと聞く渡辺京二著『逝きし世の面影』の読者ならんか(例へば同書第二章を参照)。同書、左にも右にも好評なれど、いづれもこの書物のPessimismusをかへりみざる趣きありとおぼゆ。世の「逝きし」ものとなれるは開国と産業革命ゆゑの必然にて、近代社会を否むことなくして逝きし世は取り戻さるべきにあらず、もしこれを「蘇らせ」んこと本意なりとせば、自民党の標榜せる保守政治の枠すら毀たんことは必定なり。新首相そこまで考へて演説に入れたるに非ず、ただかの書物より都合のよからんところを拝借したるのみといふもおそらくは正しからん。されど、近代社会より退行せんとする大衆の願望を掘り起こし支持を集めんとて、近代的保守政治の基を掘り崩すがごとき発言をすること、現代保守政治家の病ならざらんや。「御名御璽」云々に着目せる新聞・雑誌など多かれど、かくのごとき文にこそProblematikの現れめとおぼゆれば、敢へて細部をあげつらふことをせるものなり。

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