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平成20年回顧―二人の死者について

 一年を回顧しても非難されない日である。個人的なことを言えば、私は今年に生じた転変によって被害を被ってはおらず、海外通貨の下落ゆえにむしろ恩恵を受けた―主に洋書購入などの局面で―くらいであり、やや不謹慎ながら、平成二十年の時局は幸いであったと言わねばならない立場に属する者であって、情勢の急変に直接的に晒されたとすることは到底できない。だがそのような存在を以てしても、今年がある種の世界史的転換点をなす可能性があることを予期させられたこともまた事実であった。実務に携わる友人諸兄との対話のなかにもまた、この実感を裏付けるものはあった。ひょっとしたら、資本制と議会制民主主義の双方を両輪としてきた西側社会が、(父なる?)ファシズムや(子なる?)共産主義に続く、(聖霊たる?)第三の脅威を自覚し始めたかもしれないのである。
 しかしここで語りたいのはそのことではない。年の終わりにふさわしく、死者の領域に足を踏み入れたいと思う。平成二十年に物故した人々のなかには、私のような人文学徒がその著作に親しむことの多かった著者が少なからず存在した。最も著名なのはおそらく加藤周一であろうと思う。晩年には残念ながら、同じく朝日新聞にコラムを持つ吉田秀和翁に比べても現役感が希薄であった印象を避けられなかったが―彼の外界への関心は昨今と1970年代との間でさしたる差異を持たなかったのではないか―、『日本文学史序説』に代表される実績は不朽のものであることには変わりない。他に加藤の著書としては、福永武彦・中村真一郎との共著『1946・文学的考察』が忘れられないものであり、この書物中の福永のエッセイが精彩を欠くのに対し、加藤のものは未だにその批判力を失ってはいまい。もっとも、これらの著作に見られる見解に、現在の私が完全に賛意を表すかどうかは別問題であるが。ちなみに、個人的に最も影響を受け、かつほとんど同意もできるのは『読書術』であった。
 加藤については、しかしながら、私などが駄文を呈するまでもなく、既に多くの人々が追悼の意を表している。ここで書いておきたいのは、知名度としてはやや劣るかもしれない二人の死者、川村二郎と西郷信綱のことである。もちろん両者共に有名人ではあるが、メディアに登場することは加藤周一ほどではなかった。

 二月に亡くなった川村二郎(1928~2008)には、まずもって文芸評論家の肩書きが付けられていたが、私にとっては批評家としての川村より独文学者としての川村が先行した存在であった。彼は何よりもドイツ思想やドイツ文学を紹介し論ずる人間であったのである。実際、研究者・紹介者としての川村二郎はかなり「速い」人であり、ベンヤミンにせよアドルノにせよルカーチにせよ、彼が最初期における訳者の一人であったことは忘却し得ざる事実である。このような速さを輸入業者的な態度として誹謗するのはまったく不当である。人に先んじて気づいたよいものを人に先んじて論じたり紹介したりするのは、むしろ外国研究者の神聖なる義務の一つであると言わねばならない。
 批評家としての川村にとって重要なのは、彼の文業がこのような外国文学研究者の顔と分かちがたく結びついていたことである。川村の保田與重郎に代表される日本文学への関心も、あくまでもゲルマニスティクと不可分の形で保持されていたことは、彼の著作をいくつか通読した経験のある読者にとっては自明のことであろう。これは、例えば柄谷行人において、英文学を専攻したことと日本近代文学を論じることが基本的に関連性を持たないことと対照的である。柄谷が「根本的な背理をかかえている」外国文学研究から撤退する(福田和也『奇妙な廃墟』ちくま学芸文庫版への解説)ことで批評家になったとすれば、川村はむしろ逆に、批評意識からドイツ文学を選んだとすらいえるのである。敗戦を経て大学生となり専攻を決めなければならなくなった際、もともと英語を得意としていたにもかかわらず、「勝者にゴマをすり、尻尾を振るような態度は、何がどうあろうと取りたくはなかった。つくならば敗者の側でしかあり得なかった。たとえドイツ語の力がおぼつかなかろうと、日本と同じく世界大戦に敗れた国の文学に、心をこめるよりほかはないと覚悟した」(保田與重郎『英雄と詩人』新学社版への解説)という回想にそのすべてが現れていよう。敗戦国民の自覚ゆえにドイツを選択することは、川村前後の世代の自己意識に広く共有された振舞いであった。わざわざマゾッホ論の後書きに「そうかといって徹底抗戦を諦めたわけではない。鬼畜米英はやはり殲滅しなければならぬ」(『ザッヘル=マゾッホの世界』)と書く故種村季弘―川村の東大独文科の後輩であり都立大での同僚でもあった―がそうであるし、空襲の記憶を繰り返し作品に登場させる古井由吉―彼も独文科における川村の後輩であった―も、その一人であるようにも見える。再び個人的な述懐を許されれば、私がドイツに深入りすることになった背景にあるのもまた、似たようなわだかまりであるのかもしれないのである。なんら他者意識を持たぬまま外国文学をいじくりまわして恥じることのない人間は―私の妄想のなかの存在であることを祈る―、語り合うに値せずと思うだけである。
 かくして、川村二郎のゲルマニストとしての学識は、日本のものを論ずるときにこそ発揮されることになった。最も代表的なのは、やはり彼が最初の『限界の文学』に所収された論攷から最後の書物『イロニアの大和』に至るまで一貫して追及してきた対象である保田であろう。川村は保田や日本浪漫派を(例えば加藤周一のように)日本に固有の退行的な態度として見做すことはなく、あくまでも同時代の世界文学・思潮との関連性のなかで見ようとする。具体的にいえば、19世紀のヘーゲル周辺―私はエルヴィン・ゾルガーの重要性を『イロニアの大和』に教えられた―やロマン派に触発された現象、さらに20世紀のホフマンスタールやゲオルゲ派などと同時代的な現象として、彼らをとらえることにこだわるのである。これは単純に受容論を主張することではなく、保田一派を、世界史的・普遍的な問題を追求して敗れた人々として再考するための行いであったように思う。川村の保田論の核心は、浅田彰の次のような発言において要約されている。

 前から言っているように、ベンヤミンとシュミットの間でロマン主義の問題を考え直すことが重要だと思う。ベンヤミンはロマン主義をフィヒテ的な自我から切り離し、反省の無限化が自我をほとんど無化するに至るという契機を取りだす。そこでは、自我ではなく、無限の反省の触媒としての芸術こそが重要なんですね。しかし、自我の無化が自我の絶対化につながるという逆説があるわけで、そうなると、ロマン主義は、シュミットの言うように、それに対しては他のすべてが機会(オケイジョン)でしかないほど絶対的な神=自我をめぐる機会原因論(オケイジョナリズム)ということになってしまう―何を決断してもいいので、とにかく無=死を前にした決断こそが重要なのだというように。こういう文脈から、ドイツロマン主義を、あるいは同時代でいうとゲオルゲ・クライスからハイデッガーやフランクフルト学派に至る流れを再検討する必要があります。ナチスだってそうなんですよ、ラクー=ラバルトに言わせれば国家社会主義とは何よりもまず国家審美主義なんだから。日本浪漫派についても川村二郎が少しやりかけていたけれど、まだまだこれからでしょう。(柄谷行人編『近代日本の批評〈1〉』)

最近刊行された保田についての書物が、単なる受容論にとどまっているか(菅原潤『昭和思想史とシェリング』)、逆に外国文学への関心を捨象するか(渡辺和靖『保田與重郎研究』、なおこちらの本は保田の国内の著者に対する剽窃疑惑を大々的に取り上げている点で、下世話な興味ながら非常に面白い研究ではある。)のいずれかの傾向に限定されていることを考えると、川村の世界文学的関心の重要性が理解されよう。もちろん、浅田も言うようにことは「まだまだこれから」なのだから、川村二郎の批評意識は今まさに後継者を探しているのである。
 川村二郎の著書としては、先にあげた『限界の文学』のほかでは『語り物の宇宙』などが著名であるといえる。私個人としては、小著ではあるが、『和泉式部幻想』の印象が鮮烈であったことを思い出す。これはやはり保田の『ヱルテルは何故死んだか』や『和泉式部私抄』を手がかりに人類学的領域に踏み込んで母権を論ずるといった趣きのある書であり、世界文学的学識ゆえの批評意識が如何なく発揮されたという点で、この著者の本性を凝縮したかのような印象を受けるからである。この時期の川村がバッハオーフェンに相当な関心を有していたことも興味深い。とはいえ、これらはすべて現在では一般の書店で入手不可能なものとなっており、新刊書として流通に乗っているものは『日本廻国記』・『白山の水』くらいであろうか(いずれも講談社文芸文庫)。前者は著者の全国一宮巡礼の記録、後者は泉鏡花論であり、いずれも責任を持って推薦できる書物であることを保証しよう。特に後者は、ここでは詳述しないが、日本の近代文学や民俗学とドイツのロマン主義、のみならず歴史主義・歴史法学が同時代的な問題意識を以て組み立てられた領域であることを、敢えて論文的構成をとらないエッセイスタイルによって示唆している点で、私のような後進のヒントとなるところが大であった。

2.

 九月に物故した国文学者、西郷信綱(1916~2008)もまた、加藤や川村と同様に世界文学的視野を持った文人であった。もともと英文学を志していたにもかかわらず斎藤茂吉に震撼することによって国文学の道に入ったという経緯(「斎藤茂吉について」『国学の批判』所収)からしても、彼が国文学の「精神なき専門人」たることを潔しとしなかったことは明らかであろう。続いて彼は、当時新進の研究者であった風巻景次郎に兄事することになり(「未来への掛け橋」同書所収)、柳田國男・折口信夫らの民俗学、さらにはマルクス・フレイザー・デュルケームといった人々に代表される隣接諸分野に通暁することなくしては、国文学を学ぶことなど不可能であることを教えられたとも言っている。
 その西郷の代表作はと問われれば、多くの読者は『古事記注釈』の名を挙げることに躊躇しないであろうと思われる。現在流通しているちくま学芸文庫版で全八巻になる本書は、コメンタリーという古典研究におけるまさに古典的な形態をとりながら、ともすれば退嬰的になりがちなこのジャンルの持つ最もすぐれた性質をして生かしむる点で、この著者の最高の一冊として挙げるにふさわしいと同時に、また本居宣長以来いくつも書かれてきた古事記コメンタリーの前世紀での集大成とすら言うことのできるものとなっている。本書においても顕著なのも、やはり著者の分野横断的かつ世界思想的な関心であり、私のような読者としては、個々の語釈の文献学的厳密性にだけでなく、そのようなマクロの部分の読みにも感嘆させられるところが大きかった。著者は強調してはいないものの、『古事記注釈』は、レヴィ=ストロースが「神話の構造」(『構造人類学』所収)などで提唱している神話素による構造分析を、日本神話の解読に最も切実に取り入れた好例として見ても差し支えないのではなかろうか。一貫して本書を規定しているのは、神話を通時的だけではなく共時的なレヴェルでも解読する、つまり『古事記』を細かい神話素が反復された集合体としてとらえるという方針である。極めて単純化した例を挙げれば、スサノオによる大蛇退治、ニニギによる国譲りの受理、ヤマトタケルによる全国遠征は、確かに通時的なレヴェルではこの通りの順番で起こった事象として羅列されているに過ぎないが、共時的なレヴェルで見れば、天皇に近しい勢力による従わないものの討伐と支配という同じ現象をそれぞれ違った角度から反復的に記述したものであると見ることができる、というように。こうすることで「神話は、論理学や数学の体系と同じように働く記号の体系を通して、葛藤に解決の道を提供する」ことになるのである(オクタビオ・パス『クロード・レヴィ・ストロース』)。宣長以降の国学・国文学の常道となった観がある『日本書紀』に対して『古事記』を優位におく態度にしても、西郷の場合はナショナリスティックな意図からではなくそのような神話語りのオイコノミアから主張されていることも、同じように指摘さるべき事実であろう。
 こうした分析への情熱の背景には、大正初年に生まれ昭和初期の戦争の時代に学問形成をせざるを得なかった著者の政治的信念のようなものが作用しているようであり、実際に政治性をもっと直接的に表出していた一時期もあったということである。これについては、影響を受けた「批評家」として井上究一郎と共に西郷の名を挙げる蓮實重彦が、かつて次のように述べたことがある。

 それから西郷信綱氏に関しては、これはぼくが専門としていることではないし、まあ、それなりの評価はいたるところで受けているし、学術的な著作としても、それから批評的な著作としても評価はある程度決まっていたんだけれども、にもかかわらずその著作の刺激に文学一般が無感覚なんです。西郷さんが非常に政治化したというか、社会化した時期があって、そこらへんがちょっと軽く見られて、なかなか歴史的意義が理解されていない。その政治的な図式にしても、あるいは社会的なものの切り方にしても、逆に、今の西郷氏が当時書かれた政治的、あるいは社会的な読み方を政治的、社会的だと言って批判する人達が、今の日本の社会で演じられている愚劣な政治性社会性に比べてみたならばこれは比較にならないと思うんです。(蓮實重彦「彼自身による弁明」『饗宴〈2〉』所収)

実を言えば、「西郷さんが非常に政治化した」時期については私は殆ど無知であり、現在岩波現代文庫から刊行されている『日本古代文学史』の内容が初版と現行のものでがらりと変わっていることを伝聞で知るのみなので、これについては何も言う資格がないことを告白せねばなるまい。ただ、西郷の専門が上古・中古の日本文学という天皇制の根幹に大幅に関わる領域であること、また政治性を前面に出すかどうかは別として政治的立場そのものを変えたわけではないことなどを勘案すると、この世代より後の知識人にありがちなマルクスからレヴィ=ストロースへという安易な転換(転向?)と同一視することは妥当でないようにも思う。レヴィ=ストロースとてフロイトと並んでマルクスの影響を公言する人物であって、いくら最近の彼がサルコジに持ち上げられて喜んでいる(ように見える)からといって、左翼でないなどと決まったわけではないではないか。
 西郷信綱の著書は多いし、川村二郎の場合とは異なってそのほとんどを復刊や文庫の形で入手することができる。現時点の出版状況としては、ある意味では加藤周一よりも恵まれているとすらいえるかもしれない。個人的には、まとまった著書としては最近復刊された『古代人と死』(平凡社ライブラリー)が、単独の論文としては「枕詞の詩学」(『古代の声』朝日選書所収)が、特に著者の真骨頂を示しているように思う。「大地・葬り・魂・王権」と副題を付された前者は主に王権論と埋葬論の交錯する局面という点で緩やかな関連性を持つテーマについての論文の集成であり、柳田や折口を継承すると共に、humanusの語源をhumare(埋葬する)に見出したジャンバッティスタ・ヴィーコ(Kittler, Friedrich A.: Eine Kulturgeschichte der Kulturwissenschaft, zweite Auflage, München: Fink, 2001, s.38)以来の世界史的問題設定を追い求めた書物でもある。なかでも「諏訪の神おぼえがき」には私としても教えられるところが多く、柳田『石神問答』から中沢新一『精霊の王』に至るまでやたらに大量の論攷が出されてきたこのテーマではあるが―そのなかには川村二郎『語り物の宇宙』も含まれる―、ここで著者が立てた仮説が今のところ最も説得力あるものの一つであるように思われる。また、後者の「枕詞の詩学」は、まさにその表題の通り枕詞が和歌の中で持つ機能について分析したものである。私にとっては、おそらく他の多くの鑑賞者にとってもそうであろうように、枕詞は単なる字数合わせの決まりごと、ホメーロス研究で「定型句」(「『足の速い』アキレウス」といったもの)といわれる口承文芸のエコノミーのための制度と同じ規則でしかなかったのであるが、実は、枕詞と枕詞がかかる語の間には、あるいはその枕詞を含む詩歌全体との間には、かなり複雑に張り巡らされた意味論的連関があることを、この論文は主張しているのである。これなどまさに、この著者の学究的側面と、茂吉によって進路を変更したという詩人的側面の双方なくしては不可能であった分析といえるのではなかろうか。

3.

 どうやら余りにも字数を使いすぎたようである。分量の制限されないブログでは書き手の自制が必要でもあろうし、この辺で追悼と紹介を兼ねた拙文を終わらてもよかろう。偉大な文人が世を去ったからといって、もちろん、現役の読む価値のある書き手がいないわけではないし、次なる世代が登場しないとも限らないではないか。後進の者としては、かくして去り行く人々の文業を仰ぎつつ、去り行く年を送ろうと思う。

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