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世相に関する書簡

 以下は先日ある友人に向けて送信したメールである。友人の許可を得たので、ここに公開する。

* * *

 例の事件についていくつか思うところあり、筆をとってみました。大してまとまった内容ではないことは平にご容赦下さい。
 
 私は事件後、日本の新聞のみならずヨーロッパ三国の主要紙もネットでチェックしたのですが、大体において似たようなことが書かれていました。即ち、犯人が掲示板で事件前に実況していたこと、秋葉原がオタク(geek)の拠点として著名であること、犯行の背景に派遣社員の劣悪な労働環境があること、などです。外国においても秋葉原に関する印象が共有されていることを再確認すると共に、ゲームの影響で武装、といった類のこのような若年層犯罪におけるステロタイプな報道まで先方に浸透している嫌いがあることに苦笑を禁じえませんでしたけれど。
 今回は派遣問題などの社会的背景が割にきちんと指摘されている傾向にあり、特定の層に対する偏見に満ちた報道も抑制されている(皆無と言うわけではないにせよ)ようですので、さしあたっては上に付け加えるべきことはないように見えます。ですが、別の角度から改めて気づいたことがありますので、少しそちらに触れたいと思います。
 
 一つは、眼前で展開される殺人行為の衝撃力についての仮説を変更しなければならないのではないか、という話です。事件後、死体の周囲に野次馬が集まって携帯カメラなどで写真を撮っていた、ということが各所で報道されていますね。人間が潜在的・無意識的には死の瞬間を見ることを欲望する側面を抱えているにしても、医療制度の発達などによって死から隔離された現代の先進国民にとっては、直前に殺された人間を凝視したり記録したりすることは特別な修練を経た医師、軍人や報道カメラマンでもなければ耐え難い行為であって、それ故に実際の死は未だにおぞましいものであり得るのではないか、と考えている人は少なくないはずです。数年前イラクでテロリストの人質になった青年が殺される映像がインターネットで配信された際、掲示板などで青年を非難していた人々が、その動画が出てきた瞬間に沈黙してしまったという事例もあります。しかしながら今回の事件後の情景が突きつけるものは、このような形で現代人のメンタリティを結論付けることは不可能なのであって、現前する死ですらもその衝撃を失いつつある、というものであったのかもしれません。もしそうであれば、死刑制度を存続させるのならば死刑の実況中継を行うことを考慮すべきではないか、という主に死刑廃止論者から出される意見もまた、再考を迫られることになるでしょう。現代人は死から切り離されているが故に死の衝撃力に耐えられないという前提が危うくなっているとすれば、公開処刑が娯楽であった時代の、他人の死の瞬間を享楽するという剥き出しの欲望の回帰を押し留めるものが減退していることになるからです。
 もちろん、事件後に野次馬が集まったのはあくまでもそれが事件「後」だったからであって、殺人の瞬間そのものがどのような印象を与えるものであるのかはわからない、という見方もあり得ます。であるならば、少なくとも死の瞬間においてのみは、死の衝撃力が未だ保存されている可能性が残されますが、今回の事件の結果だけでは判断のつきかねる問いですので、これからは生死について考察する際には上記の仮説も一応は念頭に置くべきであるように思います。その際には、もし現代人の心性に変化が起こったとすれば何故なのかについても考えられる必要があるでしょう。

 二つ目はもう少し社会的な話です。犯人がなぜ秋葉原を舞台に選んだのかという疑問は、一度は抱かれてしかるべきでしょう。これについての回答としては、秋葉原が劇場的空間であったためとするものが既に提出されておりますが、私見では、犯人がオタクだったから秋葉原を選んだ、という最も通俗的といってよい答えにも相応の真が認められ、事件のある核心的な部分を指し示してもいるのではないかと考えます。事件の背景として現場がオタクの町であったことと犯人がワーキングプアであったことの両者が指摘されているわけですけれども、双方は完全に独立した事象なのでしょうか? 結論から言ってしまいますが、オタクと貧困とはかなりの程度において相関関係にあるのではないですか。事件の構造的な要因として貧困を指摘し得るのであれば、貧困ゆえのオタク、オタクゆえの秋葉原という連鎖を考えることは、あながち無理ではないように思うのです。以下、オタクと貧困に関しての私見を披瀝することをお許し下さい。
 実のところ、いわゆる狭義のオタク趣味(ゲーム、アニメなど)は基本的に金のかからないジャンルです。DVDや各種グッズに金を使うにしても旅行やスポーツに比べれば多寡が知れておりますし、自戒をこめて言えばむしろ古書や洋書の方が高くつくでしょう。さらに、動画投稿サイトやファイル交換ソフトの登場で、ネット環境さえ構築すれば極限まで投資を抑えることができるという現状もあります。犯人のような人間が趣味を持つとすればかなりの確率でオタク趣味、となることは容易に推測がつきます。いわゆるDQNの人は別であるにせよ、DQNになるにはある種の先天的才能が必要ですからね。
 ここで想定される反論は、貧困層どころかむしろ社会的な上位層に相当する人々の中にもオタク趣味を持っている人間はいるではないか、というものです。実際、都内の有名中高一貫校から東大や医学部に進学して専門職に就く、といった層のなかにオタクが多いことは私のような人間が身をもって知る事実ではあります。しかし、彼らを観察すると、オタク趣味「だけ」という人間がいかに少ないか、ということが見て取れることには、同意して頂けるのではないでしょうか? 文化資本の享受者である人間は、サブカルチャーに耽溺すると同時に、他方では社会的に是認されている文化を身につけている場合が多く、文化に対するある種の多元的所属を達成していることがしばしばなのです。一方、物理的な貧困層は文化的にも往々にして貧困であり、文化産業から安直に獲得することのできるサブカルに流れる以外の選択肢を持っていなかったりするのです。
 オタク内部の格差が存在する以上、オタク「だけ」の人々と社会的かつ文化的な貧困の結びつきを、無視することは不可能であると言えるでしょう。今回の事件の背景にこのような階級と文化の関連が存在することは、おそらく確実であるように思います。

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コメント

この記事に関する返答を先ほどメールで送りましたので、御笑覧ください。
次回のLifeのテーマは今回の事件についてだそうなので、拙ブログでも関連して何か書くかもしれません。
http://www.tbsradio.jp/life/2008/06/post_70.html

投稿: hyoulou | 2008.06.21 19:03

>hyoulou氏
わざわざ長文を頂きまして光栄です。こういうコメンタールを貰えるのが不特定多数に向けて書くことの醍醐味ですね。ゆっくり拝読した後にメールで返信しますのでお待ち下さい。

投稿: 著者 | 2008.06.21 19:51

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